ニートの子はニート
どうも、はらだんです。
いきなり幼少期の写真から始まりましたが、今日は私の家族のことを話します。
記事タイトルにも書いた通り、実は私の父もニートなのです。
厚生労働省の定めたニートの定義は34歳までなので、厳密に言うと無職ですが…。
私は物心がついた時から今現在まで、父が働きに出た所を見たことがありません。
言うならば、はらだんはプロニートでありサラブレッドニートだったのです(?)。
父が無職だということが普通ではないということに気付いたのは、小学校低学年の時でした。
クラスメイトと『みんなのお父さんは何の仕事をしているか』という話になったときに『あ、やべえ』と幼いながらに思い『車のお仕事だよ~』としれっと嘘をついた記憶があります。
そこから父のことは絶対にバレてはいけない、と思うようになりました。仲良くなった子にも家のことは全く話さなかったし、お泊まり会ももちろんできない。クラスメイトと距離を置いて、そういった誘いが来ないようにしたりもしました。
隠さなくてはいけない辛さや恥ずかしさから、父とは衝突することが増えていきました。
立派なエラはこの頃から健在
小学校中学年のころ、父は糖尿病と診断され、それからは『病気のせいで働けない』と言うようになりました。診断される前から働いていなかった訳ですから、ただの後付けの理由にしか聞こえませんでした。そういう言い訳がましいところも大嫌いでした。
小学校高学年の頃からは当時同じマンションに住んでいた祖母の家にいることが増え、いつしか完全に寝泊まりもそこでするようになり、ほぼ別居状態となりました。
大学進学で大阪に出ると決めた時もケンカになり、『そんな娘に育てた覚えはない』と言われ『お前には育てられてない』と言い返して家を出ました。(なんて最低な娘なんや!)
1回生の頃はお化粧頑張ってました
そんな最悪だった関係性も、家を出てからは少しずつマシになっているような気もします。
でも、私と父のために働き詰めの母のことを思うとどうしても、大好きな母に負担をかけ続けている父のことを許せない自分がいまだにいます。
どうしてこんな家庭の事情をいきなり書いているのか。自分でも分かりません。でも、私がプロニートと名乗って活動している今、この話をしなくてはいけない気がしたのです。シンプルにニートと言わずにわざわざ『プロ』を付けているのは『父と自分は違う』 と思いたい気持ちも少なからずあるのだと思います。
父の病状は決して良くないですし、いつなにがあるか分からない状況です。
こうやって自分の気持ちを文章にして、気持ちを整理したかったのかもしれません。
どうすれば自分の気持ちに折り合いを付けることが出来るのか、父のことを完全に認められる日が来るのか正直まだ分かりませんが、少しずつ歩み寄れたらと思っています。
幼少期からニートの父を毛嫌いしていた自分が、結果的に同じような道を歩んでいる…というお話でした。
美談でもなんでもなく、結論すら出ていない駄文です。でも、今私はこの話がしたかった。聞いて欲しかった。
こんな話を最後まで読んで下さりありがとうございました!良かったら、今後も私の反抗期ぶりを見守って頂けると嬉しいです。では!